ファーストサマーウイカ Ado「うっせぇわ」の歌い方について語る。

2021年7月19日放送、ニッポン放送「ファーストサマーウイカのオールナイトニッポン0」にて、ファーストサマーウイカがAdo「うっせぇわ」の歌い方について語っていた。

ファーストサマーウイカ:私はAdoさんのね、声ね、すごく人間的やなと思ってたんです。なんかボカロっぴイメージ・・・ボカロから派生したネット文化の中の音楽のイメージがあると思いますけど。

Adoさんはすごく人間クサく歌ってるからボカロ感がそもそもないし、と思って。「ボカロっぽい」って言うてる人がどないやって私は思ってたから。

その人間クサく歌ってるのを実際に生でライブで歌うってなった時に、私のならどう歌うかとかということをね、色々ね、考えましたよ。

モノマネしてる・・・「こんなモノマネ歌手いらねえよ」みたいなことも賛否の中にね、あったりしたんですけど。モノマネしたつもりはなくて。

リスペクトっていういう意味でね、原曲の良さみたいなのを組んで行こうと思ったら。やっぱり彼女の歌のセオリーみたいなのをなぞらざるを得ないところもあるわけですよね。

色んな解釈があるけど・・・「うっせぇわ」は多分皆さん一回は聞いたことがあると思うけど。特徴で言うと、日本語の歌って特に1センテンスで取るっていうよりかは、1個の文脈が大きく弧を描いてストーリーの中で感情表現をすることが多いんですけど。

「うっせぇわ」は・・・最初ね、「正しさとは愚かさとは・・・」ていうところはちょっと置いといて。Aメロと呼ばれるところ、あるじゃないですか?「小っちゃな頃から・・・」、これ令和と昭和の比べるの・・・「小っちゃな頃から・・・」の後、クイズやったら「悪ガキで」って言うた場合はたぶんおじさんたちで(笑)

「優等生」みたいに来るでしょ?で、普通やったら「小っちゃな頃から優等生 気づいたら大人になってった」をたぶん一括りにしがちなんですよ。4小節っていうのかな?

じゃなくて、Adoさんは大体1センテンス細かく全部感情表現が違うんですよ。「小っちゃな頃から優等生」っていうところは、ホンマに小っちゃな頃の優等生の状態で歌うわけですよ。

「小っちゃな頃から優等生」ってなって、「気づいたら大人になってった」・・・気づいて大人になった、そこで時間の経過が明確なんですよね。

それが繰り返されてるのね。「ナイフのような思考回路 持ち合わせるわけもなく」って。「ナイフのような思考回路」の時はちょっとやっぱ・・・「ナイフのような思考回路!」っていう尖った感じ出すけど。

「持ち合わせるでわけもなく」っていう・・・そうやねん、持ってないねんっていう、この4行を全部歌声で感情表現が違うんですよね。歌ってる時代、風景も違うし。

それを全部繰り返してるのね。一番聞いた時に難しかったんは・・・感情表現と、プラス歌唱方法が全く違うのよね。センテンスごとに。

「でも遊び足りない 何か足りない」って言った後に「困っちまう」ってちょっと上アゴに当てるんだけど。「困っちまう」って言った後、「これは誰かのせい」っていうのも違うとこに当てて歌ってんねんなぁ。

多分あれ、宅録とかご自身でテイク録ってテイクを選んでると思うんですけど。一本でツルッと歌ってないところもきっとあると思う。このパターンで歌って、違うパターンのヤツも引っ張ってきてガッチャンコさせてるとか。

だから多分聞いてて飽きないと思うんです。私も何回もこの曲・・・まぁ歌うってなってからですけど聞いてたら飽きないんですよね。それはもう・・・一人の人間なのに何十個の感情が1センテンスごとにぶわーって続いてってるから。

だから歌っているけど・・・最初はモノマネじゃないけど、なぞらないと。絶対にそんな歌い方にはならない。「困っちまう これ誰かのせい」って大きく取ってしまうんですよ、たぶん普通やったら。

困っちまう これ誰かのせい」って大きく取りたくなるところを「困っちまう」と「これは誰かのせい」っていう風に分けて歌うっていうのは、これは新しいな、と。ここはもしかしたらボカロ的な文脈なのかなと思いましたけど。新しい発見でしたよ、これは。

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