みちょぱ 子供の頃に住んでいた家を語る
2020年11月29日、ニッポン放送「#みちょパラ」にて、みちょぱが子供の頃に住んでいた家について語っていた。
みちょぱ:ちょっと前なんですけど、赤羽の方に行くことがあって。で、友達と車に乗りながら行って。せっかくだから私が前住んでた家、ちょっと見たいから「近いから前通ってくんない?」みたいな感じで。
3才の頃かな?私が3才ぐらいの時に初めての東京の家・・・が、「こっちだこっちだ」つって、あったんですよ。行ったら。
私もそこらへん、結構・・・元々中学校とか小学校が近い場所だから、場所的にも覚えてたし。結構記憶にはちょいちょいあったから、見に行ったんですよ。久々に。
3才から6才ぐらいまで住んでたんですけど・・・一軒家なんですよ、言うたら、一応。でもすごい細長い・・・なんて言うんだろう。その前に静岡から離婚して引っ越してきた東京の家だから静岡は言うたら、結構な広い家で。
そこからのすっごい狭い家・・・(笑) 縦長の一軒家に引っ越して。ママもシングルマザーになって、離婚してから行った家だからアレなんですけど。
久々に見たら「うわー、こんなだったっけ・・・」っていう(笑) 一緒にいた友達と「これは誰が住んでんの?って思う家だよ」って言われて(笑)
言うても3才から6才で、住んでたのも私が22だから・・・18年前とか?そこからまた年を取ってるから、たぶんさらになんだけど。
なんか胸が痛くなったというか・・・あの時は大変だったなって。自分が3才だから曖昧っちゃ曖昧なんだけど・・・あの家を見て、「あー頑張ったなー自分」ってすごい褒めてあげたくなった家だったんですけど。
そのあと3才から5才ぐらいまでそこに住んで、そのあと一回ママが同じ人と再婚したから、一回また静岡に戻ったんですよ。
私がそれがちょうど年長さんの時だから5才の時か・・・に戻って。一年だけママが再婚したんだけど、一年で離婚しちゃって・・・(笑) その理由はね、色々あるんですけど(笑)
それで小学校1年になるタイミングでまた東京に来たんですよ。またそこら辺の地域のちょっと近場なんですけど、ちょっと違うところで。
アパート?そっちの方がキレイなっていうか、ちゃんとコンクリートでできたアパート。家賃も安いのと・・・そっちも見てきたのよ、ついでに(笑) そっちはいまだに普通にキレイで。隣も駐車場だったけど、そこに一軒家が建ってたりとかしてたぐらいで。
でも前言ってたさ、「アド街ック天国」で出たことあるって言ってた駄菓子屋がそのアパートの目の前にあるんだけど。
たぶん看板っぽい・・・っていうか、なんて言うの?「みつや」って名前だったんけど、その「みつや」って書いてた看板の文字がペンキで塗り替えられてたっぽくて。
たぶんね、閉まっちゃったのかな?場所ははっきり覚えてるから絶対そこしかないんだけど。なんか寂しくなったよね。昔住んでた場所がこんなにも人が居なくなって、どんどん潰れちゃって。
で、私の小学校・中学校がその家から歩いて5分とかそのぐらいの場所にあるんですけど。ウワサでは聞いてたんだけど、行ってみたら小中一貫校に変わるっていう・・・(笑)
だから元々私が通った中学校が取り壊されて、小学校の後ろに学校がくっついて建つみたいな。それで小中一貫になるっていう。
中学校見に行ったんだけど・・・ある程度は建物はまだあったんだけど、周りも囲われちゃってフェンスみたいなので。・・・なんか寂しいね。どんどん私が思い入れとしていた場所がどんどん無くなってって。
そのあとにね、団地に引っ越したから。そこからだよね、ちょっとグレ始めたのは、言うたら。団地に引っ越し始めてから、確かにグレたかもしれない。それは記憶あるわ。
荒川の土手が目の前にあったからね。たぶんグレちゃうんだろうな、そこから(笑)